花の旅・花の寺 全国各地の花めぐり

四季折々に美しい表情を見せる日本。 全国各地、花の咲く寺を巡って日本を再発見しませんか。

不埒者の寺社めぐり 藤森神社

桜の頃、自転車でふらりと訪れたのが初回。
参拝客も少なく広々とした境内はのんびりしていて、いいもんだ、と思った。


]


ひと月後、子供の日に再訪すると、打って変わってこの賑やかさ。


この写真、上のと同じアングル(画面右の桜が消え緑が増えている)




さもあろう、ここは菖蒲の節句発祥の地である。
子供の日に行われる「駈け馬神事」目当てに観光客、地元民が集まり、
さらにそれ目当てに屋台が集まって、このような大賑わいになる。

どこの屋台も大繁盛で境内は人、人、人。
みな昼から始まる「駈け馬神事」までの時間つぶしと腹ごしらえをしている。
なにか目新しい屋台はないかと探したが、毎度お馴染みのものばかり。
一巡して、とある屋台の裏でひと休み。
この屋台の出し物が珍しかった。
遊戯系屋台には金魚、ミドリガメ、ひよこ、うなぎなどなど、
生きものを釣るなり、すくうなりして遊ばせるものがあるが、
ハムスター釣りというのを初めて見た。
釣り方は残酷な釣り針方式ではなく、安全クリップとそれに付けた餌。
ハムスターが餌を手でもったまま引き上げられたら、釣ったと認められて、
めでたく一匹お持ち帰りとなる。
口でくわえたら餌がクリップからすっぽ抜けるのでハムスターは傷つかない。
強欲なハムスターだけが両手でしっかと餌ごとクリップをつかむので釣られるという案配。
ウチの猫のお友達に一匹どうだろうか。



いつも予備知識なしにぼけ〜っと散歩気分でエエカゲンな寺社巡りをしているが、
それでも一応は立て札に書かれた神社の由緒来歴は読む。
この立て札、社務所が書いているものと京都市のものがあって、
メインとなる施設の立て札が京都市、塚とか名水の碑等々の小さな施設のが
社務所製らしいが、京都市製のがいただけない。
通り一遍のカタログ的お役所文章で、読んで三分後には忘れてしまう。


左が京都市製、右が社務所製。

「曲乗りの妙技で有名な駈馬神事が行われることから、勝運と馬の神社として信仰が厚い」
「本殿東の神功皇后新羅侵攻の際に軍旗を埋納した旗塚は有名である」云々かんぬん…。
そも駈馬神事とはなんなのか。競馬の一種なのか。だから勝運と馬の神社なのか。
なら、なんで勝運と馬なのか、旗塚は有名と言われても知らんし…等々、
読む程に疑問が湧くがその説明はなく杳としてわからない。
結局、帰ってからネットで調べることになる。
役所でたらい回しにされている感じ。

なにはともあれ藤森神社のホームページを見る。
「当社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です」
そう、まず誰が建てたかであり、どういう経緯があって建ったのかだ。
京都市よ、まずはこれを書くべきだ。
この神社は神功皇后ありきの神社なのだ。
しかし当のホームページでもよくわからない。
さらに調べたことをかいつまんで書くと、

かつて日本列島の統一をめぐる権力闘争の時代。
天皇家が覇権を握ったとはいえ、第14代仲哀天皇の頃でも九州勢力の熊襲、隼人など、
まだまだ反抗する部族がいて日本の平定ままならず。
これは九州勢の背後にいる三韓朝鮮半島南部の種族)をやっけねばいかん。
つまり元を絶たねばいかんとなった。
しかしあろうことか仲哀天皇が急逝。
代わりに神功皇后が陣頭指揮を取り三韓へ出兵することになった。
夫に代わって奥さんが戦争に行くというだけでも驚くが、
この時神功皇后は妊娠しており、渡海の際、石をお腹にさらしで巻き、
腹を冷やして出産を遅らせたという。
猛女である。
三韓征伐を成し遂げ凱旋した神功皇后は、ここ藤森に軍旗を立て兵具を納め、
塚を作り祭祀を行った。

というのが藤森神社の発祥なんだとさ。
こういうことを立て札に書いてくれないものか。
通俗的なエピソードがあると私ら庶民は、ほうほうなるほど、
だから御旗塚や鎧なんかがあったのか、と得心するし、
神功皇后という女性の人間像も想像し、遺跡、展示物を見る目も変わるのに。

下の写真が旗塚。





馬の神社なだけに、宝物殿には馬の絵の屏風、
競馬騎手のサイン色紙や写真や馬の人形がある。


宝物殿入り口の屏風


ジョッキーの色紙(馬乗りなんぞ武豊しか知らん)


各地から収集した馬の人形

馬はさておき、展示室には鎧兜、刀剣、鉄砲なんかがわんさとあって、
さながらミリタリーマニアの部屋になっている。
いささか異様で神社にいる気がしない。


出口で気がついた。写真撮影禁止の張り紙に…


宝物殿は寺社の宝物(寺なら仏像など)を納める場所なのだから、
ここは馬や武器が宝物ということになる。
「駈け馬神事」も元々は疾駆する馬の背で逆立ち、後ろ向き、
落馬寸前の体制などで、敵の目をくらますのが目的の戦闘用の馬術だ。
すなわち「勝運と馬の神社」というのは、
戦争の勝運を祈り、戦闘を支える武器としての馬を祀るということではないか。
そう思うと、この神社、神功皇后という女性が祀られているのに
どうにも猛々しいものを感じる。

ともあれ、宝物殿の武器が面白い。
一般的な刀剣、銃器に混じって珍妙な武器がある。
帯刀が許されなかった茶室の茶室用脇差しなんていう卑怯な武器や、
一貫目玉大筒、八連発大縄銃、ミニチュア先込式大筒などと、
実戦に使えたのか?と疑問を持つようなものなどなど。
解説を見て納得した。
鎖国以来平和が続いて機能よりも珍奇なものを工夫して
耳目をひくようなものが作られた」
やることがなくなると、いらん機能を付けたり、
意味不明のデザインしたりするんよな。
ガラパゴス化するのは鎖国以来の日本文化だな。


ガラパゴス化した武器


絵馬堂(喫煙所にもなっている、今どきすばらしい)



宝物殿前の絵馬堂の絵馬は競馬の馬が描かれていて、
これぞまさに絵馬の中の絵馬という絵馬。文章も馬馬づくし。
この競馬の絵馬が昭和の映画看板風で気になった。
数点同じタッチのがあり、同じ描き手らしい

]
絵馬

なんで看板に見えたかと言うと、文字のレタリングのせいだ。
この描き手、絵は拙いが文字にはこだわりがあるようで、
絵よりも字に力を入れているようにみえる。
おかげで絵が字にくわれているのだけど、
小さな町の看板屋の爺さんが、ちょこちょこと本業の合間に、
この稼業もわしの代で終いだな…とかなんとか言いながら描いているに違いない
と思わせるB級の味わいがある。



帰りは神社のすぐ側を流れる琵琶湖疎水に出れば、堤の桜並木を楽しめる。
桜も終わり、ゴールデンウィークも終わったが、
これからの季節、神鎧像の奥と正面鳥居の参道沿いに
「紫陽花苑」があるのでそちらも楽しめることだろう。



帰路、正面鳥居から拝殿を見たところ

「駈け馬神事」ではこの写真中央奥に見える拝殿までの長い道を、
馬が一気に走り抜ける。

で、その「駈け馬神事」はどうだったかと言うと、
人が多くて暑くておまけに並ぶのが嫌いなので、
なあに来年もあると強がりを言い、見ずに帰ったのだ。

(kenmin)