花の旅・花の寺 全国各地の花めぐり

四季折々に美しい表情を見せる日本。 全国各地、花の咲く寺を巡って日本を再発見しませんか。

不埒者の寺社めぐり 壬生寺

おそまきながら節分の日の話。

京都で散髪の帰り、そういえば今日は節分だったと思い出し、〈京都・節分〉で検索。

山伏・幼児の練り供養・大護摩供養・厄よけ鬼払い狂言上演・

先着1000人ぜんざい接待と、イベント盛りだくさんな壬生寺を見つけた。

供養祈とう厄よけは無縁だが、ぜんざい接待となれば見逃すわけにはいかない。
 

 烏丸から四条通りを壬生川通で左折、壬生寺への道に入った。

とたんに道幅が狭くなって、その狭い道に

屋台がひしめき人がひしめき、めきめき大賑わい。

たこ焼き焼きそばベビーカステラとうもろこし等々お馴染みの屋台に混じって、

「厄よけほうらく」と掲げた屋台があった。

旨いのか?それ…食い意地がはっているせいで煎餅に見えたそれは、

重ねて置いてある素焼きの皿で、これに家内安全とか無病息災、

人より金が欲しいとかの願い事を書いて奉納すると、

その年の災厄を免れられたり願いが叶うという縁起物だった。

やはり縁起物屋台は人気があって、他の屋台より人が多い。

 縁日というのは神仏とご縁をもつ日だからそう言うわけで、

屋台はご縁のとっかかりというところ。

私もご縁のとっかかりにいそしむべく、
から揚げたい焼きポテトスティックじゃがバター、

あれも縁これも縁かときょろきょろ歩くうち、気付けば境内に入っていた。

連なる屋台に目を奪われて歩いているうちに、

三門にも壬生寺と書かれた扁額にも石柱にも気付かず、

うやむやに寺の門をくぐっていたという次第。ははは。


 屋台は本堂まで長々と続き、脇道にそれるのも難儀するほど。

人の流れに押し出されて本堂前広場に出ると、

護摩供養の跡らしきどんと焼きの残り火。ここも人人人。

目を奪われたのが本堂左手の千体仏塔。ミャンマーの寺院風のシルエット、

というか何段もあるウエディングケーキ風に石仏がずらりの異形。

登ったろ、と思って近づいたが警備員が立っていて不可とのこと。

それに比べ、右手の本堂はいただけない。いや建物の話。

かつての本堂は50年ほど前に放火で全焼したそうで、

防火のためコンクリペンキ仕上げ風もやむを得ないのだろうが、

味わいも何も無い造作で、古けりゃいいとは思わないが

モダンでもない半端加減。

思わず未来の寺院建築はいかにあるべきかと深く考えた。嘘。

しかし、ここまで来てもぜんざい接待が見当たらない。見逃したか。



さて、壬生寺と言えば壬生狂言

舞台は家の屋根ほどの高さにあり、観客席は向かい建物の二階、

屋根の無いベランダから見るようになっている。

地上から見上げているので全容は見えないが、客席はすでに満席らしい。

トウモロコシをかじりながら、ぼんやり舞台を見上げていると、

「あと40分もあるわ、待ってられへんねえ」おばちゃんが話しかけてきた。

おばちゃんは壬生狂言をよく見に来るそうで、

ふだんは有料(八百円とか千円とかおばちゃんは言っていた)

だが今日はタダというのを教えてもらった。

タダと聞いて、見なければ!と思ったが、この回は見ての通り既に満席、

次回を見ようにも観客席建物前にはすでに長蛇の列ができていて、

見るのは諦めた。
 
その後も、屋台巡りの合間にぜんざい接待を探すが見つからなかった。

たぶん先着1000人には遅すぎたということか。

壬生狂言もぜんざいもかなり早めに行って並ばなくてはいかんのだ。

タダには相応の努力がいるらしい。


 帰路、行きしなも長蛇の列で気になっていた幸福堂という和菓子屋に寄ってみた。

ガラス越しに金つばをずらりと鉄板に並べて焼いているのが見えて、

ひとつ食いたいと思っていたのだ。

たぶん壬生寺土産と言えばココの金つばと言われるような行列のできる和菓子屋で、

行きと変わらぬ長蛇の列にここも諦めた。タダではないのに相応の努力がいるらしい。


 この店の近くには新選組の壬生屯所跡がある。

芹沢鴨はここで仲間に殺されたのだ。

内部粛清の殺人現場に興味のある方は立ち寄るべし。


(kenmin)