花の旅・花の寺 全国各地の花めぐり

四季折々に美しい表情を見せる日本。 全国各地、花の咲く寺を巡って日本を再発見しませんか。

不埒ものの寺社巡り 日吉大社

数年前、比叡山延暦寺に行く際、
滋賀県側からケーブルカーに乗ろうとして、
たまたま日吉大社山王祭の花渡り式に出会った。
その華やかな神事に見とれ、是非もう一度見てみたく、
JR比叡山坂本駅から徒歩で日吉大社に向かった…
などと信心深く情緒豊かなことを言ってみたいが、
参道の屋台に行くためというのが本音である。

ここに来るのは三度目だが、JRから行くのは初めてで、
道は知らぬがたかだか20分の行程、
知れてる知れてると歩き始めたが足が重い。
大社まで延々と緩やかな上り坂が続くうえ、
前日、陽気に誘われて自転車でつい遠乗りをしてしまい、
足腰肩が筋肉痛なのだ。

そういう案配で坂道をだらだらと歩いていると、
老舗風甘味処の「草餅」というのぼりを見つけた。
草餅は好物だからこれを食べないわけにはいかない、
と、ものの10分も歩かないうちに休憩。
民家を改造したらしい店内は、畳敷きの広間が客席になっており、
床の間を中心に壁際には鎧兜がずらりと並んでいる。
山王祭と関係した祭期間だけの展示なのか、店主の趣味の常設かは不明。
餡を包んだ草餅が旨くて、店の人に聞くのをうっかり忘れてしまったのだ。


京阪電鉄坂本駅を通り過ぎ、石の鳥居が見えたあたりから、
桜と屋台のテントがちらほら。
春の祭らしい風景が広がる。
この石の鳥居からふたつ目の赤い鳥居まで参道両側には桜並木が続いている。
ぼちぼちと葉桜は増えているものの、枝垂桜は満開なので花見にも不足はない。


桜の下には屋台がずらりと並び、近所のハナタレ、家族連れ、
参道沿いにある比叡山中学の生徒達が集まり始めている。
祭の初日、昼前という時間はまだ観光客には早すぎるようで、
人混みもなく、ほどよい賑わいと穏やかな日差しが相まって、
長閑な春の祭という感じがとても良い。

しかし、そういった風情と腹具合は別もので、
見ると食べたくなるという悪しき習性が、腹を屋台に向かわせる。
鳥の唐揚げ、焼そば、フランクフルト、もんじゃ揚げ(これは初めて見る屋台)、
ポテトスティックと、いつものように食い散らかして、
筋肉痛に加えて満腹痛になってしまった。
歩く気になれず、一瞬、帰ろうかなと思ったが、
食い散らかしただけで帰ってはバチが当たるような気がしたので
屋台を後にふたつ目の赤い鳥居に向かう。

鳥居の手前に一軒の茶屋があった。
この期に及んでまだ茶屋が気になるのは如何なものかと、
自分でも思ったが、看板に「神猿蕎麦」とあったので仕方ない。
蕎麦は好物だからこれを食べないわけにはいかない。
そう思ったが、胃袋がそんなもの入るゆとりは無いと言うので諦めた。
屋台であれだけ食えば当然だ。
しかし「神猿蕎麦」はカミザルソバと読むのだろうか。
神様が食べるざる蕎麦なのか。
あるいは猿の蕎麦?
蕎麦の上にバナナでものっかっているのだろうか…。
一体どういう蕎麦なのか。

「神猿蕎麦」の正体は後で解明するとして、ふたつ目の鳥居をくぐり受付へ。
入場料(入苑協賛料)300円。
「今日の夜、山の上から御神輿が降りてきます」と
受付のおばちゃんが言っていたように、
さらに山を登った所にある「奥宮に上げられた神輿に神様がお遷りになり、
東本宮へお渡り頂く神事」がある。

ちなみに翌日は参道の桜並木を、武者装束姿の子供が
花飾りを引いて練り歩く「花渡り式」がある。
冒頭に書いたように数年前に見たが、なかなか華やかな神事だった。


●この画像は借物です。加工して掲載しております。



勾配がきつくなった坂道を登るとみっつ目の鳥居がある。
ここまで、ひとつ、ふたつと鳥居をくぐって来たが、
進むほどに神域に近づくというわけだ。
で、みっつ目のこの鳥居、いささか形が変わっていて、
神仏習合の信仰を顕す合掌鳥居と言うそうな。
そう言えば、ふたつ目の鳥居のすぐに小さな寺があった。
もとより日吉大社比叡山の山の神を祀っているし、
延暦寺天台宗)仏法の護法神でもある。
神仏習合、すなわち土着の神様と仏様が
混ぜ混ぜになっているわけだ。
しかし明治時代には神仏分離廃仏毀釈なんてこともあって、
我が国の宗教というのはほんとによくわからん。


みっつ目の合掌鳥居をくぐってすぐ、
木彫りの神馬が安置されている小屋に並んで、
神猿舎というものがあった。
猿舎といっても動物園風の檻である。
中には日本猿が二匹。

●パンフレットによると
 境内には魔除けの象徴として神猿(まさる)と呼ばれる猿が祀られ
 「魔が去る、何よりも勝る」に因んで大切にされてきました。とある。
●HPには
 毛づくろいする姿など、見ていてとても癒されます。

とあるが、とても癒されなかった。
捕らわれの身になった猿の表情からストレス一杯というのが見てとれて、
哀れさが先に立つ。
大切にすると言うなら放してやればいいものを。
猿は、やはり野に置けお猿さんではないだろうか。

ともあれ、これでさっきの「神猿蕎麦」の由来はわかった。
マサルソバと読むのが正しいのも。

狐を神の使いとする伏見稲荷の参道で
いなり寿司が売られているのと同じように、
あの茶屋は神猿にあやかって蕎麦を供しているようだ。
やはりマサルソバの正体はバナナ蕎麦か…



●これが西本宮


●西本宮入口から拝殿、本殿をぶち抜きで見られる



境内奥の西本宮本殿前の拝殿には、
神具や椅子が設置され神事の準備は万端というところ。
最早なにもすることがない巫女さんが、
ここんとこ、もうちょっと綺麗にしとこうかな、てな感じで、
箒でちょこちょこ掃除してたりして、
長閑さと祭前の静寂が混じり合った独特の空気がある。

]
●準備万端の拝殿


●こちら本殿


境内をひと通り歩く。

山の麓という立地がいい。
建物の足下には水溝があって、境内を山の水が流れているようになっている。
西本宮左手奥の滝が源泉らしく、水が澄んでいて流れに澱みがない。

建物がいい。
モノトーンのような古い木造部に、深みのある朱色と金色が差し色となり、
絶妙の配色になっている。



狛犬が良い。
狛犬は普通、石彫で地面にいるものだが、
ここのは珍しく木彫りで屋根の下にいる。
これ以上風雨にさらされのはごめんだとばかり、
屋根の下に逃げ込んだのだろうか。
全身に経年劣化によるひび割れが入ってぼろぼろだが、
その分、いかにも「狛犬の仕事してます」という風貌、佇まいが良い。


他にも石の手水舎、枝垂松の御神木、合掌鳥居、滝、神橋などなど、
参拝するだけではもったいないほど見るものが沢山ある。


●石の手水舎


●一度落ち目になったけど、負けへんど!と上昇する枝垂松の御神木



●西本宮左手つきあたりの「飛竜の滝」。境内を巡る水の源である。


●滝からの水は澄んだ清水である

清浄、質素という印象を受けるいい神社である。
秋は紅葉が美しいとのことなので是非。

ちなみに古い建物とはいえ、
現在の建造物は安土桃山時代以降に再建されたものだそうな。
1571年に織田信長比叡山焼き討ちにより
日吉大社も灰燼に帰し、今あるのは信長の死後、
秀吉が復興に尽力したおかげとのこと。
これは秀吉の幼名が「日吉丸」、あだ名が「猿」であることから、
日吉大社を特別な神社と考えたからなんだと。

猿といえば、「神猿蕎麦」の正体を探らねば、と思っていたが、
大社を出たらすっかり忘れて鳥居前の茶屋を通り過ぎ、
駅近くの「日吉蕎麦」という店に入ってしまって、結局わからずじまい。
また食うのか?と思われようが、
ここに来て、この「日吉蕎麦」に入らないわけにはいかない。
美味い不味いでなく、いや決して不味くはない素朴な味なのだが、
それ以上に昭和の、それも田舎の蕎麦屋という風情が気に入っていて、
入らずに帰るわけにいかず、入ったら食べないわけにいかず
ざる蕎麦を食べてしまったのでした。ちゃんちゃん。

小さな花旅 416. 鎌倉

三連休させていただきました。
わたくしは田舎から姪っ子たちが来ていたので、鎌倉・横浜観光しました。

まだ開花宣言されていませんが、一部ソメイヨシノが咲き始めましたね。
写真は鶴岡八幡宮のサクラです。

そう言えば、仕事場近くの靖国神社の、標準木のそばにも開花したソメイヨシノが…。

小町通りではミモザも満開。あちこちでモクレンも真っ白な花を付け始め、春本番です。

シラス漁も解禁だし、七里ガ浜では因みにこの時期は夕陽も美しく、ダイヤモンド富士が見られるのですか…。

姪っ子たちは夕陽を見て一番感動してましたね。自然を愛でるのは老いも若きも共通なようで(^_^)
旅が最も盛り上がった瞬間でした。

小さな花旅 415 偕楽園の梅

長らくのご無沙汰です。

今年に入って、なんだか多忙な日々が続き、どこにも花ウオッチングにいけないまま春が目の前に迫ってきました。
 
わたくしごとですが、関東にきて8回目の春。
ようやく念願かなって、水戸の偕楽園の梅見の機会がめぐってきました。
 
偕楽園へは上野駅からスーパーひたちに乗って、水戸駅まで約1時間。駅前からバスが出ていて10分もあれば東門に到着します。意外に近いですね。
 
わたくしは前日にちょっと用事があって、大工町のホテルに宿泊しましたので、徒歩15分くらいで好文亭表門に到着しました。
 
 
偕楽園は皆さんご存知の通り、天保3年(1842年)、水戸のお殿様、斉昭公が藩士や領民が集う憩いの場として造園したお庭で、、およそ13ヘクタールの広大な敷地の3分の1が梅林。その数約3000本ということで、それはそれは見事な梅林です。
 
どう見事なのか・・・といいますと
数だけでなく、まず、手入れが行き届き、梅の木の間隔もちょうどころあいで、1本、1本の木の姿、花の姿までじっくりとみることができましたねえ。
これまで梅林では感じたことのない「品格」を感じる梅のような・・・。さすが水戸のお殿様。
 
梅は枝ぶりや幹の張り具合を見ているだけでも飽きず、花も満開と来ていますから、時間をかけてじっくりと拝見いたしました。
 
 
花びらが退化した「てっけん」という珍しい種類の梅もありました。
 
で、休憩どころには必ず、お約束の「水戸納豆」が販売されて・・・飛ぶように売れてました。
 
わたくし・・・生まれも育ちも関西ですが、納豆はいただきますよ。ハイ。
今回は「納豆ドーナツ」「納豆クッキー」を買ってみました。
でもね、お土産の最高傑作は「印籠」。黄門様のやつね。
会う人ごとに「この葵の御紋が・・・」なんてやるために買ったのですが・・・。
 
ではじっくりと梅の花をお楽しみ下さい。
梅まつりは3月31日まで開催されていますよ。


好文亭表門にて


藩士たちの交流の場となった好文亭。絵になるポイントですね。


「てっけん」と呼ばれる、花びらが退化した梅です。マンサクを小さくしたような花です。


真っ赤な包装はインパクトありますねえ。


お昼は水戸駅ビルで秋田・東成瀬村の唐揚げ定食をいただきました。

不埒者の寺社めぐり 妙満寺

「うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ」

1970年前後だったか、六文銭というフォークグループが唄った、
「比叡おろし」という歌である。

リフレインこの二行が印象的で、冬、比叡山というとこのフレーズを思い出す。
比叡おろしとは京都と滋賀にまたがってそびえる比叡山から吹き下ろす北風のことだ。
その比叡おろしが吹く寒い日に、のこのこと京都、妙満寺に行って来た。
地下鉄「国際会館」駅から徒歩で向かう。
閑静な住宅街の中、車も人影もまばらな道を20分。
寒い。ただでさえ寒いのに、比叡山が間近に見えるので寒さが倍加する。



寺門をくぐると作務衣の坊さんがしゃがみこんでなにやら作業をしていた。
他に人影はない。
観光客の姿が見えないのは、
あんさんの胸を雪にしてしまう恐ろしい女を恐れてのことか。



境内に入ってすぐに目につくのが左手に立つ異様な塔。
いきなりインドである。
仏舎利大塔といい、インドのブッダガヤ大塔に倣い1973年に建てたものだそうな。
ブッダガヤとはインドの地名で、釈迦が悟りを開いた地だ。
そのブッダガヤにある大菩提寺(マハーボーディー寺)の本堂である大塔こそが、
全世界仏教徒にとって最高の聖地なのだ。


●左が本物、右が偽物…いや、妙満寺オリジナル。

 最上階には仏舎利(釈迦の遺骨ですな。遺骨!ウソ!?、
そんなもんあるはずないやろ、と思った不埒者は比叡おろしに胸を雪にされます)。
一階には金色の釈迦像が安置されている。

一般参拝客が入れるのはこの一階だけ。
一階と最上階を除いた中間階は全国の檀家と信徒の納骨堂になっている。
本場インドの大塔と違うのは、
四面の外壁に大小486体の仏像が貼り付いている点。
建立三十三周年記念で、全国の末寺、檀信徒の寄進で設置とのこと。
本物に比べ金色の仏像がいささか品を落としているのは否めない。


線香を持ってこの塔の周囲をぐるりと回るとご利益があるそうだが、
私は得体の知れないご利益はいらんのでとりあえずの一回り。
入口の真裏にあたる南面に、
釈迦が悟りを開いたときに座っていた金剛宝座というものがあった。

台座右に、
「お釈迦さまが悟りを開かれた場所です」
と書かれている。
嘘を書いてはいかん。
釈迦が悟りを開いたのはインドドンドンだ。
「お釈迦さまが悟りを開かれた場所です」とあれば、
どこかのオッチョコチョイが、ココで、と信じるではないか。
それとも、あえて誤解をさせて寺の権威付けを狙っているのか。
あるいは言葉のままに信じ込んだどこかのオッチョコチョイが
「釈迦が悟りを開いたのは京都の妙満寺」などと出鱈目を吹聴すれば、
観光客がどっと押し寄せて…なんて策謀があるのか。
  境内に立ち入っても我が心、清らかにならずである…。

妙満寺法華宗の寺である。
妙法蓮華経であり日蓮なのだが、禅宗の寺のような印象を受ける。
大塔を出て足下を見ると、入る時には気付かなかったのだが、
通り道の石畳以外は、小石を敷き詰め波紋を描いた枯山水風、龍安寺の庭のごとく。
すなわち禅宗寺院で多く見受ける庭園様式なので、そんな印象を持ったのだろう。

本堂をほぼ素通り。ってなにも無いのだから仕方ない。

ただ本堂から見下ろす眺めは良い。右手の山が比叡山

本堂右手に建つ「方丈」に三百円を払って入場。
「本堂内」と「雪見の庭」が見られる。


【本堂内部】

奥に見えるのは雪帽子を被ったような日蓮像。
柵があり、遠目からしか見られないのが残念。
で、手前にあるのが堂内撮影禁止の立て札…て、あかんやないの。
写真がピンボケなのはバチが当ったのだな。

誰もいないと思って傍若無人に振る舞っていたら、
本堂を出る時、一人の若い女性とすれちがった。
女性一人がこんな辺鄙なところに…
さぞかし信仰熱心な人なのだろうと思っていたら、
彼女、ものの一分も立たない内に本堂を出てきた。
なんだ?と見ると、手には一眼レフ。
なるほど、カメラウーマンなのだ。
信仰厚き人でも観光目当ての人でもなかったようだ。
趣味か仕事かわからぬが、
一人休日に寺社巡りをして写真を撮っているのだろう。
しかし、本堂内が写真撮影禁止だからといって、すぐに出て来るか?
「撮れないのか、じゃ、関係ないわ、」という姿勢がいかん。
撮る前に見ろ!ばかもん。
写真を撮る前にモノを見ることをないがしろにしてはいけない。
見て、興味を惹かれて、いいな、と思ってシャッターは切るものだ。
彼女、信仰厚き人でも観光の人でも、
カメラウーマンでもなかったようだ。

【雪見の庭】
俳句の創始者、松永貞徳という御仁が
ここで「雪の会」という句会を催したのがその名の由来。

私は庭マニアではないので、そちら系の評価はできないが、
禅宗の寺の庭の方が好みに合っているのを再認識。

さきほどのカメラウーマンはここでも、
ああでもないと庭にレンズを向け、
アングルを模索してらした…だから、構える前に見なさいって…。



●右の人がカメラウーマン。間に合わなかったが、
彼女、この時、私がiPhoneを構えていると知るや、
さっと一歩下がってくれた。ええ人なんよな。


この座敷の右手、明るい側が雪見の庭になっていて、
緋毛氈上のワラ座布団に座り、
庭を眺めて一句というのが「雪の会」の趣向だったのだろう。

私も当時の俳人達に倣い、座して一句。

「……」

無駄な時間ばかりが過ぎて行くので宝物殿に向かうことにした。


【宝物殿】
何故か「安珍・清姫伝説」の「鐘」があると言う。
あれは和歌山の道成寺だろ。

ちなみに、「安珍・清姫伝説」を書いておくと、
928年。修験者の安珍は福島から熊野に参詣に来て当地で一泊。
宿の娘、清姫は美形の安珍を見て一目惚れ。
女だてらに夜這いをかけて迫るも、安珍は
「参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るから」
と約束をするが、熊野参拝後はこれを無視。
清姫の元に立ち寄ること無くさっさと行ってしまった。

待てど暮らせど来ぬ安珍に、騙されたことを知った清姫は怒り、これを追跡。
道成寺までの道の途中で追い付く。
ところが安珍は再会を喜ぶどころか
「拙僧は別人だ、約束を交わした覚えも無い」と嘘に嘘を重ね、
更には熊野権現(熊野の神様)に助けを求め、
清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする。
ここまでされる覚えは無い、と清姫の怒り天を衝き、
遂に蛇身に化け安珍をさらに追跡。
びびった安珍は日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ。

安珍を追うのは乙女清姫の姿にあらず、
火を吹きつつ川を渡り道成寺に迫る蛇の姿である。
それを見た安珍、相手は化け物、なにか頑丈なシェルターはないかと、
道成寺の梵鐘を下ろしてもらいその中に身を潜めた。
しかし怒りに狂った清姫はこれを見つけるなり、
蛇身を鐘に巻き付け、炎を吐き、鐘を真っ赤に焼き、
安珍を鐘の中で黒焦げ焼死せしめ、それがため死刑の判決を受けると思いきや、
清姫は蛇の姿のまま入水自殺をした。

という、すなわち、思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が、
激怒のあまり蛇に変身、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すという
ストーカー女と虚言癖の僧の話だ。
なんだ三行で済んだ。


しかし、その鐘が何故、京都妙満寺に来たのか、
謂れは何かと資料を読んだ。

それから四百年余後、鐘を失った道成寺はふたつ目の鐘を作り、
その完成式典で白拍子(イベントにつきものの歌舞をする芸人)が鐘に近づくや、
あらら白拍子は蛇に変身。鐘を引きづりおろして日高川へと姿を消した。
それを見た僧達は、これは清姫の祟りに違いないと一心祈念の厄払い。
ようやく鐘は上がったが、清姫の怨念が残るせいか
「なんやこの鐘、なんちゅう音しよんねん、こんなん聞いてたら頭痛なるで」
と言うほど悪音極まりなく、
その音色のせいか近隣に悪病災厄が相次ぎ起こり、
「あかん、こんなん捨てよ」ということで山林に廃棄した。

 それからまた二百年後。
秀吉の家来、千石権兵衛久秀なる人物が打ち捨てられたこの鐘を拾い
「合戦の合図に使う鐘に使えるんちゃうか」とリユース
使用後、京都に持ち帰り妙満寺に納めた。
鐘は日殷大僧正の法華経による供養で怨念を解かれ、
鳴音美しい霊鐘となった。
とのこと。
上記、ウィキペディア妙満寺のリーフレットを
ごちゃまぜにしてまとめたもの故、
他と違う記載もあるとは思うが了承されたし。

ともあれ、これが、鐘がここ妙満寺に来た経緯。
六百年余も続いた女の怨念を、法華経により鎮めたという
…つまり法華経の素晴らしさを説く…という広宣流布の一種だな。


寺を出ると、相変わらず比叡おろしが厳しい。
しかし、市内街中の寺に行った時よりも清々しさがある。

この清々しい心持ちは何処から来るのか。
これは、比叡おろしに吹かれ、
二十分の道のりを歩くことでようよう辿り着く、
寺迄の厳しい道程のおかげではないだろうか。
ほとんど食物屋も土産屋も無い、つまらん道のり…いや、
俗世の欲望を断つ環境は、
この私をして仏心に近づかせしめ、
それ故の清々しさではないか……嘘。


これ以上、比叡おろしに胸を雪にされてはたまらん。
今なら、清姫に鐘の中で適温に温めてもらう方がええわ、
どっかに気の利いた暖かい茶店はないかと探すのであった。


山門回りのつつじ園、大書院を中心とした一角にさくら園。
ほか睡蓮や蓮、紅葉などなど花好きの方には四季折々楽しめそうな寺である。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/myomanji/landscape.htm


(kenmin)